まんぷく|ラーメン発明の実話が凄い!麺やスープはどう作ったの?

 

朝ドラ『まんぷく』では、いよいよ萬平は即席ラーメン作りに着手しました。

 

ドラマでもこのあたりは最大のエピソードですから、盛り上がりそうですね~

 

萬平のモデルとなっている安藤百福も苦労を重ねて「チキンラーメン」を発明していますから、萬平も幾多の困難を乗り越えてインスタントラーメンを発明することでしょう。

 

今回はモデルの安藤百福のラーメン発明までのエピソードの詳細をご紹介します。

 




 

コンテンツ

ラーメン発明の実話が凄い!麺やスープはどう作ったの?~①

 

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まず安藤百福がラーメン作りに着手したのは、1957年(昭和32年)のことです。

 

この年に理事長を務めていた信用組合「大阪華銀」が経営破綻した責任をとらされて財産も没収されています。

 

当時の百福は既に47歳になっていましたが、「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」と考え、非常に前向きでした。

 

昔馴染の大工に手伝ってもらい、自宅の離れに10平方メートルほどの小屋を作ってもらい、ラーメンの研究に没頭しています。

 

(カップヌードルミュージアムにある研究小屋の再現)

 

中古の製機や中華鍋、食用油などを入手して開発はスタート。

 

開発にあたっては次の5つの目標を立てています。

 

「第1に、おいしくて飽きのこない味にする」

「第2に、家庭の台所に常備できる保存性のあるものにする」

「第3に、調理に手間がかからないようにする」

「第4に、値段を安くする」

「第5に、安全で衛生的なものにする」

 

このような目標を立てたものの、百福はラーメン作りにはまったくの素人だったことから開発は困難を極めました。

 

特に麺の原料配合には苦労しており、麺が切れないようにつなぎとして卵や片栗粉、山芋などを入れていますがうまくいきませんでした。

 

また麺にうまみと栄養をつけるために、チキンのスープやホウレンソウの絞り汁、粉乳など思いつくものを次々に練り込んでいきましたが、こちらもうまくいきませんでした。

 

製麺機にかけたところボロボロになったかと思えば、団子状にへばりついたりと失敗の連続でした。

 

気の遠くなるほどのトライアンドエラーを繰り返しながら、少しずつコツを掴んでいき、ついに理想の配合を発見しています。

 

後に百福はこのあたりについて次のように語っています。

 

「食品とはバランスだ。食品の開発は、たったひとつしかない絶妙のバランスを発見するまで、これでもかと追求し続ける仕事である」

 

麺の配合が決まると、近所の知り合いのうどん屋に生めんを打ってもらって、製造しています。

 

生めんを自転車の荷台に積みこんで帰る途中には、出会った近所の人は振り返って見ていたそうですが、「信用組合の理事長だった人が落ちぶれてかわいそう」とでも思われたようです。

 

そして次に取り掛かったのが麺への味付けです。

 

当初は小麦粉にスープを練り込みましたが、出来上がった麺はボソボソに切れてしまいました。

 

また麺を蒸してからスープに漬けてみると、粘りついて乾燥しにくいことが判明。

 

そこでじょうろでスープをふりかけて、少し自然乾燥させた後に、手で揉みほぐすという手法に辿り着きます。

 

これによって「味付け麺」が完成しました。

 

とは言え、大きな壁になったのが麺の乾燥方法です。

 

目標とした保存性と簡便性を実現するには、麺の乾燥法を工夫する必要がありましたが、これがなかなか思い浮かびませんでした。

 

ラーメン発明の実話が凄い!麺やスープはどう作ったの?~②

 

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麺の乾燥法に悩んだ百福ですが、思わぬところに答えはありました。

 

妻の仁子が天ぷらを揚げているのを見て、「油で揚げて乾燥させる」という発想を思いつきます。

 

麺を油の中に入れると水と油の温度差によって、麺に含まれている水分が外にはじき出され、ほぼ完全に乾燥した状態になったのです。

 

しかも半年置いても腐らない保存性も伴っていました。

 

さらに油で揚げた麺は水分が抜けた際に無数の穴が開いており、お湯を注げばすぐに水分を吸収してもとの柔らかい麺になるという特性も備えていました。

 

まさにこの油で麺を揚げて乾燥させる方法(現在では油熱乾燥法と呼ばれている)は一石三鳥で、インスタントラーメンにはうってつけの手法だったのです。

 

百福がこの乾燥法に辿り着いた際の喜びようは、想像するに難くありませんね♪

 

とは言え、その後に麺をきれいな形に揚げる方法に苦労しています。

 

最終的には針金と金網で四角い枠型を作って、その中に麺を入れて揚げることで解決しています。

 

そしてスープはチキン味にしたのですが、これには次男の宏基のエピソードが下敷きにありました。

 

当時の安藤家では裏庭で鶏を飼っており、時々調理して食卓に出していました。

 

ある日締めたはずの鶏が調理中に暴れ出し、血が飛び散って、それを見た宏基はショックのあまり鶏肉はもちろん好物のチキンライスも食べることができなくなりました。

 

しかし仁子の母親の須磨が鶏ガラでとったスープでラーメンを作ったら宏基はおいしそうに食べたそうです。

 

このエピソードから百福は当初からスープの味をチキン味と決めていたのです。

 

余談ですがチキンラーメンは世界中で売れることになりますが、牛や豚と違って鶏肉を食べない国はありません。

 

そのため結果的にはこの選択はチキンラーメンの世界的な普及に大いに役に立っています。

 

以上が安藤百福のラーメン発明の実話のまとめとなります。

 

これらの実話はドラマでもエピソードとして用いられることは間違いなさそうです。

 

萬平や福子のラーメン発明の奮闘にも注目ですね。

 

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